そら空一人語り

(長い文章書きたいけどTwitterには課金したくないので)始めました。

とある元D1ドライバーについて

 こんばんは。空です。

 実は最近、過去のD1を見直すのにハマってます。風間さんのm.o.v.eカラーのS15やTOYOカラーの180SXやワンビアとか懐かしいですね・・・。

 さてこの頃のD1マシンの中で、特に気になったのがこの車。

引用元:www.app-top.jp

 当時、現地へ観戦に行ったことがない限り、見覚えがないと思われる、このS14シルビア。製作したのは関西のドリ車系ショップだった「R・Y・O JAPAN」。このショップがチームとして、2008年のD1のラスト二戦から投入したのがこの車で、少なくとも2011年ごろまで使われていたそうです。

 そのドライバーが今回の本題です。そうです、ここまではあくまでもプロローグです。

 

引用元:D1グランプリ 公式HP

 三木竜二

 出身地は鳥取県D1グランプリへは2001年より参戦。当時はプライベーターとして参戦していましたが、翌年よりTOPSECRETのシートを得て、同時に就職のため上京。

 2004年シーズンにシリーズチャンピオンに輝くも、翌2005シーズンを最後にTOPSECRETを離脱。

 それ以降はスポット参戦を繰り返し、2016年R-Magicからフル参戦したのを最後に、競技から引退されました。

 

 ここで注目されるのは、やはり、2005年のTOPSECRETの離脱でしょう。当時のD1関係者のブログを見ると三木選手のTOPSECRETへの素行不良が、D1運営元の怒りを買い「追放された」というのが書かれており、それが通説となっていました。

 かく言う私も、今回のブログのネタを探るまで、てっきりそうだと思っていました。

 しかしここで先のS14シルビアが出てきたことで、事態が変わります。

awataiya.blog93.fc2.com

 三木選手と同じ元D1ドライバー、藤中学さんのブログにて三木選手のS14のリアの写真がアップされていましたが、よく見ると「TOPSECRET」のロゴ(しかも新ロゴ)が・・・。

 もしも、本当に素行不良があったとしたら、元従業員のよしみであったとしても、スポンサーとして出資するとは考えにくく、恐らくその説は誤りで、別の事情があったのでは・・・?

 そう思い、色々と調べてみると、「三木選手には2007年からのアペックスとの契約が結ばれており、それに伴ってTOPSECRETを退職した。」という情報を掴みました。

 

 ということでもう一度調べなおしたところ、この車両を見つけました。

引用元:Flickr

  アペックスのアメリカ法人が2007年のフォーミュラドリフトに投入したこのマシン。

 詳細についての情報は掴めなかったものの、恐らくD1で使用していた車両を左ハンドルに改修したものと思われます。

 他にも、シンガポールのドリフトイベントに参戦した際のS15シルビアや80スープラなども見つけることができました。

 ちなみに、三木選手とアペックスの関係は2011年まで続いたようで、関係が終了したタイミングで三木選手も帰国し、再びD1へ活動の場を戻すことになったのだと思われます。

 

 しかし、最も重要なポイントが抜けています。結局のところ三木選手がTOPSECRETを離脱し、一年の空白を経て海外へ活動の場を移したのか?

 

 ここまでの流れから推測するに、私は「単なるチーム移籍」だったと考えます。

 三木選手が抜けた後のTOPSECRET(名義はスポンサーであったORC)のシートには、アペックスに在籍していた今村陽一選手が収まりました。

引用元:livedoorブログ

 ではアペックスは?というと、こちらは2005年を最後にD1を撤退していました。また同じころにSuperGTaprチームへのスポンサー提供も終了しています。

引用元:goo

 というのも、ちょうどこの頃、アペックスは社名を「アペクセラ」へ改名し自動車用のチューニング部品の販売のみならず、ディーゼル車向けの環境対策部品の開発や家庭向け防災システムの開発など、多角化を推進し始めました。

 しかし、これが原因でアペクセラは経営不振となり、2007年1月に会社更生法を適用し倒産。チューニングパーツ部門などいくつかの部門は他社へ売却されて生き残ったものの、法人としてはそのまま清算されました。

 

 なので、一年間の空白が開いてしまったのは、元はアペクセラからD1参戦する予定だったけど、肝心のアペクセラが経営不安になってモータースポーツ活動が出来なくなり、D1参戦は頓挫。結果的に資本的に繋がりがあったアメリカ法人からの参戦になった。と私は推測します。

 もしも、この時アペクセラの財務状態が健全なままで、モータースポーツ活動も続けていたら、もしかしたら日本国内でアペクセラのFD(もしくは違うマシン?)を走らせる三木選手が、見られたのかもしれません。

 もしくは何事もなくZ33を走らせていた可能性もあります。

 

 とはいえ、私の仮説の様に円満な流れだった場合、あのような書かれた方をするとも到底思えないので、TOPSECRET離脱の際に何かがあったのは確かです。

 しかし当時は今の様にSNSが発達していたわけではなかった時代。今回のブログについても、様々な人のブログや海外のサイトを参考に書きましたが、真相は結局のところ不明のままとなってしまい、モヤッとした終わりになりました。(ちなみに三木選手の扱いについて、D1運営元からTOPSECRETへ圧力が加わったという情報もありました。)

 何かしらのタイミングで、事の真相がわかることを祈りつつ今回は以上とします。 

 閲覧ありがとうございました。

 

 

 <余談>

 今回、三木選手の海外時代のマシンを調べていたところこんな車両を見つけました。

 とにかくかっこいいので見て行ってください。なお成績は()