そら空一人語り

(長い文章書きたいけどTwitterには課金したくないので)始めました。

良い?悪い?どっち????~野田樹潤に対するあれこれ~

 こんばんは。最近は車のイベントよりも声優さんのイベントに参戦する機会が1:9くらいになった自称「モータースポーツインフルエンサー(笑)」の空です。

 さて、早速ですが。3/9に開幕した全日本スーパーフォーミュラ選手権

引用元:autosport web

 今年は例年以上にドライバーのシャッフルがあったことで、開幕前からかなり注目を浴びていたわけですが、その中でも本当に「色んな意味で」注目を浴びたのが、TGMグランプリのこの発表。

 Jujuこと野田樹潤選手をドライバーとして起用するというこの発表。

 日本人女性ドライバーが同カテゴリーに参戦するのは、前身であるフォーミュラ・ニッポンや全日本F3000選手権、そして全日本F2選手権時代を数えても、史上初の出来事であり、様々なメディアで取り上げられました。

 まぁその時の報道の仕方で色々と問題になったりしたんですけどね。

 

 そんな彼女、モータースポーツをよく見る人ほど「あれ?」となるようなポイントが多く、昨日の決勝レースが終わった直後にも色々と議論がされていました。

 なので、今回は彼女の来歴とこの週末を経て自分が思ったことをつらつらと書いていこうかと思います。

・そもそもどんなドライバーなの?

引用元:毎日新聞

 まずは簡単なプロフィールを

〇名前:Juju(本名:野田樹潤)

〇誕生日:2006年2月2日(18歳)

〇出身地:東京都

〇主な参戦カテゴリー:
 ・F4 Danish Championship(2020~2021年)

 ・W-Series(2022年)

    ・ZINOX F2000 Formula Trophy(2022~2023年) 

    ・Euroformula Open Championship(2023年)

    ・BOSS GP(〃)

 パッと見の印象では、海外のレースが中心だなあといった感じ。というのも、元から上位カテゴリーの参戦を狙っていたそうですが、年齢制限に引っかかって出られるレースが少なかったというのが実情。なんせ、中学生の頃からにレースの世界にいるわけですからね。ウマ娘かな?

 さて、このカテゴリーを見て何がおかしいのかピンと来てない方へ。

 実はこれらカテゴリー、W-Series以外はワンメイクカテゴリーではないのです。

 実例として「BOSS GP」というシリーズなのですが、レース自体はこんな様子。

引用元:BOSS GP公式HP

 一言で言ってしまうと新旧いろんなカテゴリーのフォーミュラカーでやるレース

 なんか姿とか形が似たマシンだらけですが、これらの車両が現役時代に同じレースで走ったことはないです。

 また、去年まで参戦していたZINOX F2000も似たような感じのレースなので、ぶっちゃけてしまうと金持ちの車好きが趣味の発展でやるレースというわけです。         

 ちなみに去年彼女はそんなF2000でチャンピオンに輝いたわけですが、その時に書かれたニュースがこちら。

news.yahoo.co.jp

「なんだ俺は悪い夢でも見ているのか?」

「てかなんだこのシリーズ。聞いたことねえよ。」

 ニュースをスマホで見た時、大マジに思ったことです。

 先ほど述べたように、F2000Tはどちらかというと、趣味の一環で参戦している人がほとんど。そんなレースに彼女の所属しているNODA Racingはガッチガチの体制で参戦しチャンピオンになったわけです。例えて言うなら、ゲームのオンライン対戦の初心者向けのルームに一人だけ、超強化された装備で参加するようなものです。

 これでチャンピオンになれなかったら、むしろ恥ずかしくて帰ってこれねぇよ。

 

 「じゃあ、そのワンメイクレースとやらのW-Seriesではどうなのさ?」と言われればこんな感じ

en.wikipedia.org

 結果だけ言ってしまうとランキングは入賞は1回でランキング14位。

 ただこのシリーズ、優勝者はほとんど同じドライバー(ジェレミー・チャドウィック)というかなりいびつな展開になっていて、Juju自身もパフォーマンスの劣るチームに所属していながら、ポイント争いに絡む展開を見せるなどの活躍を見せ、この年、同シリーズのドライバー・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。(ちなみにW-Seriesはこの年の途中で運営元の経営不振により打ち切り)

 

 では、一体どうしてこうなったのか?

 「レースに無知無知なマスコミが書いたんだし多少はね?」と言われればそうなんですが、そもそもオタクですら知らないマイナーなレース。でも、ただのマイナーじゃない。ド級のマイナーなレース。「ドマイナーなレース」を急にお茶の間やネットニュースで流すという蛮行。

 実はそこには彼女の父である、野田英樹の存在が大きく関わっていました。

・Jujuの父親ってどんな人?

引用元:Wikipedia commons

 Jujuの父親である野田英樹は1982年から2012年までレーシングドライバーとして活躍。その間の1994年にはF1へスポット参戦。

 その際に多方面の企業に営業を仕掛け、多数のスポンサー・フィー(参戦資金)を集めることに成功。95年にはフル参戦の予定でしたが、阪神淡路大震災の影響で延期に。その間に参戦予定だったチームは消滅。せっかく集めた資金は借金のカタに持っていかれるという憂き目に遭いました。

 98年からは活動拠点を日本へ戻し、自身のチームでフォーミュラ・ニッポンへ参戦。

 ちなみにスポンサーの社長が、ロックバンド「THE ALFEE」の事務所の社長と仲が良かったということもあって、現役時にはTHE ALFEEのロゴが書かれてたこともあったそうな。

 現在はNPO法人やその他のモータースポーツ団体の顧問を務めたりと、人脈面で強い人物で、Jujuのスポンサーには子供服ブランドとして有名なミキハウスが付いていることから、国内では比較的政治的に強いモータースポーツ関係者と言えるでしょう。

 

 で、この際ハッキリ言ってしまうと、Juju関連の悪評はだいたいこの人のせいです。

 

 中途半端に発言力がデカいおかげか、今回スーパーフォーミュラに参戦する際、マシンの最低重量に対し苦言を呈する様子が、ネット記事にもなっていたのですが、「彼女と同じくらいの体格の男性のドライバーもいる中で、自分の娘だけ甘い条件になるよう仕向けるのはどうなんだ?」とレース界隈では大炎上。あまりの燃え具合に現役のドライバーたちがそれとなく言及する事態にまで発展。

 もちろん男女で筋肉量をはじめとした体の造りが違うのは当然だけれども、2020年に女性ドライバー、タチアナ・カルデロンが参戦した際にはこんな話一切沸いてこなかったというのに、どうしてこのタイミングで騒ぐんだ?

 というのが私の印象。

引用元:octane

 それどころか、今現在も男性ドライバーに混ざって活躍している女性ドライバーの存在を知っている私からしたら、「お前マジなんなん?」と何回危うくお気持ち表明しかけたことがあったか…。

 蛇足ですが今回の開幕戦の練習走行中、解説陣からこんなコメントが

 これって、つまり"そういう事"ってことでよろしいでしょうか?(ニッコリ)

・実際に走ってるのを見てみた。(予選)

 

 ようやく本題です。

 なんだかんだ言われても、彼女の職業はレーシングドライバーなわけですから、走ってナンボです!

 ということで予選結果どーん!!

 おっとこれは…。

 タイムだけで見たら、ぶっちぎりの最下位。スーパーフォーミュラの場合、13位からの順位は予選グループごとに決められるので、最後尾スタートではないです。

  この結果に対し本人はこうコメント。

www.as-web.jp

 上記記事より引用

 「今まで(他のカテゴリーで)は20分間とか30分間とかの予選セッションだったので、自分にとって10分間という短い時間での予選の組み立てというのが初めてで、チームと当初予定していたのは2回連続でプッシュするというプランだったのですけど、2回目のプッシュの前にチェッカーが出てしまって、それが自分にとって想定外でした

 このコメントに対する意見は賛否両論と言った感じ。

 「初めての予選だったししょうがない」「決められた時間内にタイムを仕上げられない時点でプロとしてどうなの?」

 などなど。

 で、ここからは私の感想ですが。

 

「遅いと言われればそうなんだけど、思ったよりは速かった。」

 

 というのが正直な感想です。

 ちなみにオンボードテレメトリーで見るとこんな感じ。

 (これらの映像は、スーパーフォーミュラ公式アプリ「SFgo」内の映像をキャプチャーしたものになります。)

 こう並べてしまうと一目瞭然。コーナーリングスピードが10~20km/程遅いです。
 これを見るとまだ限界領域で走るマシンを手の内に入れられていないことが、はっきりわかります。

 とは言え、テストで数回乗っただけの、600馬力近いマシンをここまで乗れるようになった辺りに彼女の成長が見られる。そんな印象のアタックラップでした。
 上記のツイートにもあったように、これからの成長に期待が持てます。

・実際に走ってるのを見てみた。(決勝)

 

 いよいよ迎えた決勝レース。

 19番手スタートなので、うまいこと行けばジャンプアップも狙えるのでは・・・?

 なんて思った矢先・・・

 オンボードで見るとこんな感じ。(こちらも「SFgo」のキャプチャーです)

 

 あっっっっっっぶねぇ。

 

 よくブレーキ戻せたな。

 

 ゲームとかでいいんですが、アクセル全開から急ブレーキをかけて、タイヤをロックさせて見てください。超怖いです。

 こうなったらブレーキを緩めるしかないです。で、そういうことは頭の中で理論としてわかっているんです。でもできない。体が言うことを聞かないんです。こればっかりは本能的にそうなってしまうのでしょうがないんです。

 でもあそこでブレーキを緩められたのは、はっきり言って素晴らしい!しかも開幕戦の1コーナーです。きっと本人も緊張でバクバクだったでしょう。

 ぶっちゃけスポンジバリアに刺さると思ったので、正味テンションブチ上げでしたね。

 で、レース結果はこんな感じ。

 完走扱いを含めたとしても17位。

 ベストラップはファステストから1.7秒落ち。

 個人的にはまずまずではないかと思います。危なかった場面もスタートの時くらいで、それ以外は淡々と走行。なんならゴール後に手を振る様子も見れたので、意外と余裕があったり?

 ちなみに、完走したドライバーの中での最下位は、KCMGの小林可夢偉だったわけですが、彼はラスト3周でマシントラブルによりリタイヤ。いわゆる「完走扱い」というわけです。

 なんか知らないけど、その事実を抜き取って「天才女性ドライバーJuju、元F1ドライバーより上の順位でゴール!」という見出しで記事を書いたマスコミが早速現れました。

 うーん😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇

・で、結局どうなのよ?

 

 ということで結論ですが、

 

わっかんねぇ。

 

 って感じです。

 身も蓋もなくてごめんなさい。

 

 でも実際そうなんです。本当に。なにせ、これまでの経歴がものさしとしてロクに機能していないため、ある種、このシリーズ参戦をきっかけに本来のパフォーマンスが現れていくわけです。

 

 あえて現状としての最大の課題を挙げるなら、「一発の速さ」でしょう。

 テストの段階から、決勝レースを想定したロングランに関しては、ペースこそ劣っていたものの、タイム自体はそれなりに安定したものを並べられていたので、あとは予選でのパフォーマンスの向上が要求されていくはずです。そのためにも、早くマシンを自分のコントロール下に置かなければ、他のルーキー達に大きく溝を開けられてしまうでしょう。

 

 多方面から注目を集める「Juju」こと野田樹潤選手。果たしてその輝きは本物なのか。それともメッキされただけの作り物なのか。その答えが出るのにはまだまだ長い時間がかかりそうです。

 スーパーフォーミュラの次回は5/18~5/19。大分県オートポリスで開催されます。

 彼女にとっては初めてのサーキットになりますが、およそ2ヶ月のインターバルがあるので、この間にどこまで仕上げてくるかに期待しましょう。

 

 最後に、ここまでの閲覧ありがとうございました。

 今後も不定期で色々書いていきたいと思いますので、気長にお待ちください。

とある元D1ドライバーについて

 こんばんは。空です。

 実は最近、過去のD1を見直すのにハマってます。風間さんのm.o.v.eカラーのS15やTOYOカラーの180SXやワンビアとか懐かしいですね・・・。

 さてこの頃のD1マシンの中で、特に気になったのがこの車。

引用元:www.app-top.jp

 当時、現地へ観戦に行ったことがない限り、見覚えがないと思われる、このS14シルビア。製作したのは関西のドリ車系ショップだった「R・Y・O JAPAN」。このショップがチームとして、2008年のD1のラスト二戦から投入したのがこの車で、少なくとも2011年ごろまで使われていたそうです。

 そのドライバーが今回の本題です。そうです、ここまではあくまでもプロローグです。

 

引用元:D1グランプリ 公式HP

 三木竜二

 出身地は鳥取県D1グランプリへは2001年より参戦。当時はプライベーターとして参戦していましたが、翌年よりTOPSECRETのシートを得て、同時に就職のため上京。

 2004年シーズンにシリーズチャンピオンに輝くも、翌2005シーズンを最後にTOPSECRETを離脱。

 それ以降はスポット参戦を繰り返し、2016年R-Magicからフル参戦したのを最後に、競技から引退されました。

 

 ここで注目されるのは、やはり、2005年のTOPSECRETの離脱でしょう。当時のD1関係者のブログを見ると三木選手のTOPSECRETへの素行不良が、D1運営元の怒りを買い「追放された」というのが書かれており、それが通説となっていました。

 かく言う私も、今回のブログのネタを探るまで、てっきりそうだと思っていました。

 しかしここで先のS14シルビアが出てきたことで、事態が変わります。

awataiya.blog93.fc2.com

 三木選手と同じ元D1ドライバー、藤中学さんのブログにて三木選手のS14のリアの写真がアップされていましたが、よく見ると「TOPSECRET」のロゴ(しかも新ロゴ)が・・・。

 もしも、本当に素行不良があったとしたら、元従業員のよしみであったとしても、スポンサーとして出資するとは考えにくく、恐らくその説は誤りで、別の事情があったのでは・・・?

 そう思い、色々と調べてみると、「三木選手には2007年からのアペックスとの契約が結ばれており、それに伴ってTOPSECRETを退職した。」という情報を掴みました。

 

 ということでもう一度調べなおしたところ、この車両を見つけました。

引用元:Flickr

  アペックスのアメリカ法人が2007年のフォーミュラドリフトに投入したこのマシン。

 詳細についての情報は掴めなかったものの、恐らくD1で使用していた車両を左ハンドルに改修したものと思われます。

 他にも、シンガポールのドリフトイベントに参戦した際のS15シルビアや80スープラなども見つけることができました。

 ちなみに、三木選手とアペックスの関係は2011年まで続いたようで、関係が終了したタイミングで三木選手も帰国し、再びD1へ活動の場を戻すことになったのだと思われます。

 

 しかし、最も重要なポイントが抜けています。結局のところ三木選手がTOPSECRETを離脱し、一年の空白を経て海外へ活動の場を移したのか?

 

 ここまでの流れから推測するに、私は「単なるチーム移籍」だったと考えます。

 三木選手が抜けた後のTOPSECRET(名義はスポンサーであったORC)のシートには、アペックスに在籍していた今村陽一選手が収まりました。

引用元:livedoorブログ

 ではアペックスは?というと、こちらは2005年を最後にD1を撤退していました。また同じころにSuperGTaprチームへのスポンサー提供も終了しています。

引用元:goo

 というのも、ちょうどこの頃、アペックスは社名を「アペクセラ」へ改名し自動車用のチューニング部品の販売のみならず、ディーゼル車向けの環境対策部品の開発や家庭向け防災システムの開発など、多角化を推進し始めました。

 しかし、これが原因でアペクセラは経営不振となり、2007年1月に会社更生法を適用し倒産。チューニングパーツ部門などいくつかの部門は他社へ売却されて生き残ったものの、法人としてはそのまま清算されました。

 

 なので、一年間の空白が開いてしまったのは、元はアペクセラからD1参戦する予定だったけど、肝心のアペクセラが経営不安になってモータースポーツ活動が出来なくなり、D1参戦は頓挫。結果的に資本的に繋がりがあったアメリカ法人からの参戦になった。と私は推測します。

 もしも、この時アペクセラの財務状態が健全なままで、モータースポーツ活動も続けていたら、もしかしたら日本国内でアペクセラのFD(もしくは違うマシン?)を走らせる三木選手が、見られたのかもしれません。

 もしくは何事もなくZ33を走らせていた可能性もあります。

 

 とはいえ、私の仮説の様に円満な流れだった場合、あのような書かれた方をするとも到底思えないので、TOPSECRET離脱の際に何かがあったのは確かです。

 しかし当時は今の様にSNSが発達していたわけではなかった時代。今回のブログについても、様々な人のブログや海外のサイトを参考に書きましたが、真相は結局のところ不明のままとなってしまい、モヤッとした終わりになりました。(ちなみに三木選手の扱いについて、D1運営元からTOPSECRETへ圧力が加わったという情報もありました。)

 何かしらのタイミングで、事の真相がわかることを祈りつつ今回は以上とします。 

 閲覧ありがとうございました。

 

 

 <余談>

 今回、三木選手の海外時代のマシンを調べていたところこんな車両を見つけました。

 とにかくかっこいいので見て行ってください。なお成績は()

 

直近のモタスポ界隈について

 こんばんは、空です。

 

 ということで最近モタスポ界隈のおかげで、𝕏が賑やかになっているとのことなので、思うことを長々と綴っていこうかと思います。

 

 最近では2019年、ホンダのF1復帰後初優勝を前後に徐々に増え始めた、モタスポ界隈の人数。特にそれが顕著になったのは2021年の角田裕毅のF1参戦でしょう。

 今思えばこの頃から、様子がおかしくなってきたような気がします・・・。

 特に目立ったのが「応援しているドライバーやチームさえよければ、後はどうでもいい」っていう考え方の人です。

 どの界隈にもこういった考え方の人は一定数はいるでしょう。モタスポ界隈の場合、その考え方が、より過激に傾いていた人、いわゆる「信者」が多く、応援しているドライバーが、例えバッシングを受けるような行為しても「すごい!」と、とりあえず言いまくる、なんていう様子をよく見ました。

 逆に応援しているドライバーを攻撃するような発言を目にすると、アナフィラキシーショックを起こしたように怒り狂う。という光景も見ました。

 他の界隈の人に言ったら「ウソだろ?」と笑われるかもしれませんが、実際に去年、あるチームの監督がある日本人ドライバーを「津波のようだ。」と発言したことで、そのチームや監督本人に謝罪を要求するだけに飽き足らず、なぜかは理解できませんが、謝罪を要求するツイートへ、3.11直後に日本へ向けた贈られた応援ビデオを、添付してくる輩まで現れ、とにかくカオスな様相を呈していました。

 本当、この流れは今見ても理解できないです。

 

 今回の騒動はそういった人が増えてきた故の弊害でしょう。

 「にわか層を増やし、今後の文化の発展につなげる必要がある」という考え方と、最近流行りの「『推し』を作って生活をより良くしましょう!」みたいな風潮が、見事に化学反応してしまったわけです。

 あーもう、滅茶苦茶だよ。

 

 はっきりと本音を言うと「浅いなぁ…。」というところです。

 別に楽しみ方なんて、個々人の自由なので、私たちがあーだこーだ言っても無意味ですが、どうしてそんなに視野の狭くなる見方をするのでしょうね。

 

 ここからは、そんな最近モータースポーツを見始めた方に関する個人的な印象ですが、見るところをもう少し工夫すると、より一層面白く感じられるはずです。

 例えばドライバーに注目するなら、その成績や見た目に注目するだけではなく、ドライビングの違い、例えばハンドルの切り方やシフトチェンジの仕方など、より細かな違いを楽しむのもどうでしょうか?

 

 また人間に注目するだけでなく、マシンにも目を配るのもどうでしょうか?

 よく、空力について取り上げる人もいますが、個人的にはそれよりも奥の部分、サスペンションやエンジンに注目すると、エンジニアの考え方やアイデアを見ることができ、あれだけの性能をどうやって引き出しているのかを理解するきっかけに、繋げられるかもしれません。ただ、こういったジャンルを理解するには、それなりの理系脳や自動車などに関する知識などが必要になってくるのですが…😇

 

 ともかく折角ハマったコンテンツなのだから、一つの事柄に注目するのもいいですが、せっかくなら色んな所へ目を向け、また違った視点で眺めて楽しんでください。

 ただし、人様の迷惑にならないように。

アウディのモータースポーツ活動とマーケティング戦略①


 みなさんこんにちは。小並の訴訟にビビり散らしている空です。

 5月初頭にこのニュースが出てきたのは皆さん

ご存知だと思います。

jp.motorsport.com

 去年あったF1参戦発表からのWECドタキャンの流れがあったとは言え、世界中に数多くの顧客を抱えるGT3やGT4TCRのサポートまで終了させるとは・・・と正直私もドン引きでした。

 でも、この一連の動き、過去のアウディモータースポーツ活動を振り返ると意外と(アウディからしたら)普通なのかもしれません。

 ということで、今回はGT3以外のアウディモータースポーツ活動を振り返り、その傾向について少し考察していきましょう。

 

引用元:Wikipedia commons

 アウディは1930年代に「アウトウニオン」という自動車メーカーを前身に設立されました。この企業はドイツ国内の4つの自動車メーカーを合併させて出来た企業で、アウディはその中の1ブランドでした。

 そんなアウトウニオンですが、設立したてのメーカーということもあって、知名度ドイツ国内でも高くありませんでした。そこでアウトウニオンは自社の自動車の性能の高さをアピールすべくレース活動を開始します。特に成功を収めたのがこのタイプC。フェルディナンド・ポルシェ博士が設計したこのマシンは、当時のニュルブルクリンクで10分切りという破格の速さをみせ、最高速度テストでも400km/hオーバーを叩き出すなど、アウトウニオンの技術力を見せつけました。

引用元:Webモーターマガジン

 第二次世界大戦後、アウトウニオンはVW傘下となり、「アウディ」へ社名変更。

 1981年、3ドアクーペの「クアトロ」で世界ラリー選手権へ参戦を始めます。このクアトロ最大の特徴は何と言っても四輪駆動であること。それまで二輪駆動のマシン主体だったラリー界に革命をもたらし、業界を完全に制圧。アウディ自身もこの四輪駆動システムを大々的に宣伝し知名度確保に注力。その結果、車自体の見た目も相まって『4WD=公道では不要な技術』という市場の見方までも払拭。

 その後、この「クアトロシステム」はラリーだけでなく、DTMやBTCC、IMSAといったサーキットレースでも猛威を振るい、今日のアウディのスポーツモデルの基礎となっているのです。

引用元:Audi MediaCenter

 21世紀に入ると、今度は従来のツーリングカーレースに加えて、スポーツカーレースにも着手。

 ギアボックスやサスペンションといった細々したパーツ類を一つの巨大なブロックとして構成するモジュール設計と、VWグループの技術の粋を集めた「TDI(ターボチャージャー付直噴式ディーゼルエンジン)」で、10年近く最強の名を保持し続けました。

引用元:Car Watch

 2015年、来る電動化の波に合わせてアウディが選んだ挑戦が、電気自動車レースの最高峰レース。Formula-Eへの参戦。DTM時代からのパートナーであるABT(アプト)とのタッグで参戦し、16-17シーズンにはドライバーズ、17-18シーズンではチームとしてタイトルを獲得。ワークス活動こそ2021年で終了したものの、パワートレーンの供給自体は翌2022年まで継続しました。

 

 

 さて、ここまで駆け足でアウディモータースポーツ活動を振り返りましたが、特徴として必ずモータースポーツ活動を通じて、自社の技術のアピールに繋げている。ということが伺い知れるのではないでしょうか?

 次回は、自動車メーカーとしてのアウディがどのような立場なのか。そしてなぜGT3といったGTカーを切ってまでF1へ注力することにしたのか。この二点に注目していきます。

 

 ご覧いただきありがとうございました。次回もお楽しみに。

急ですが、始めました。

 ブログ、始めました。

 ということで(?)ブログ始めました。

 内容としては主にモータースポーツに関するあれこれを中心とする予定です。

 よろしくお願いいたします。

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