みなさんこんにちは。小並の訴訟にビビり散らしている空です。
5月初頭にこのニュースが出てきたのは皆さん
ご存知だと思います。
去年あったF1参戦発表からのWECドタキャンの流れがあったとは言え、世界中に数多くの顧客を抱えるGT3やGT4、TCRのサポートまで終了させるとは・・・と正直私もドン引きでした。
でも、この一連の動き、過去のアウディのモータースポーツ活動を振り返ると意外と(アウディからしたら)普通なのかもしれません。
ということで、今回はGT3以外のアウディのモータースポーツ活動を振り返り、その傾向について少し考察していきましょう。
アウディは1930年代に「アウトウニオン」という自動車メーカーを前身に設立されました。この企業はドイツ国内の4つの自動車メーカーを合併させて出来た企業で、アウディはその中の1ブランドでした。
そんなアウトウニオンですが、設立したてのメーカーということもあって、知名度はドイツ国内でも高くありませんでした。そこでアウトウニオンは自社の自動車の性能の高さをアピールすべくレース活動を開始します。特に成功を収めたのがこのタイプC。フェルディナンド・ポルシェ博士が設計したこのマシンは、当時のニュルブルクリンクで10分切りという破格の速さをみせ、最高速度テストでも400km/hオーバーを叩き出すなど、アウトウニオンの技術力を見せつけました。
第二次世界大戦後、アウトウニオンはVW傘下となり、「アウディ」へ社名変更。
1981年、3ドアクーペの「クアトロ」で世界ラリー選手権へ参戦を始めます。このクアトロ最大の特徴は何と言っても四輪駆動であること。それまで二輪駆動のマシン主体だったラリー界に革命をもたらし、業界を完全に制圧。アウディ自身もこの四輪駆動システムを大々的に宣伝し知名度確保に注力。その結果、車自体の見た目も相まって『4WD=公道では不要な技術』という市場の見方までも払拭。
その後、この「クアトロシステム」はラリーだけでなく、DTMやBTCC、IMSAといったサーキットレースでも猛威を振るい、今日のアウディのスポーツモデルの基礎となっているのです。
21世紀に入ると、今度は従来のツーリングカーレースに加えて、スポーツカーレースにも着手。
ギアボックスやサスペンションといった細々したパーツ類を一つの巨大なブロックとして構成するモジュール設計と、VWグループの技術の粋を集めた「TDI(ターボチャージャー付直噴式ディーゼルエンジン)」で、10年近く最強の名を保持し続けました。
2015年、来る電動化の波に合わせてアウディが選んだ挑戦が、電気自動車レースの最高峰レース。Formula-Eへの参戦。DTM時代からのパートナーであるABT(アプト)とのタッグで参戦し、16-17シーズンにはドライバーズ、17-18シーズンではチームとしてタイトルを獲得。ワークス活動こそ2021年で終了したものの、パワートレーンの供給自体は翌2022年まで継続しました。
さて、ここまで駆け足でアウディのモータースポーツ活動を振り返りましたが、特徴として必ずモータースポーツ活動を通じて、自社の技術のアピールに繋げている。ということが伺い知れるのではないでしょうか?
次回は、自動車メーカーとしてのアウディがどのような立場なのか。そしてなぜGT3といったGTカーを切ってまでF1へ注力することにしたのか。この二点に注目していきます。
ご覧いただきありがとうございました。次回もお楽しみに。